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第39回例会「教育を変革する−第三の教育づくりの実践」
(講師:ラーンネット・グローバルスクール代表 炭谷俊樹氏、愛知私学教育ネット代表 毛受芳高氏)
2000年3月1日、行政の将来を考える若手の会第39回例会が開かれました。今回の例会では、『教育を変革する−第三の教育づくりの実践』をテーマに、ラーンネット・グローバルスクール代表の炭谷俊樹氏を講師としてお招きするとともに、ゲストとして愛知私学教育ネット代表の毛受芳高氏にもお越し頂き、計30名(講師・ゲストを含む)が出席して意見交換を行ったところ、主要点は次の通りです。

1.第三の教育づくりの実践(炭谷氏)

(1)デンマークでの経験−ラーンネットを始めた契機

(イ)自分で学校を作ることとなったきっかけは、デンマークに2年間住んでいたことである。その時にデンマーク人のライフスタイルに感銘を受け、小さな試みではあるが自らやってみたいと思ったので始めることとした。

(ロ)デンマークは、伸び伸びとしたライフスタイルの国である。牧場が数多くあるのんびりした国で、午前8時から午後4時まで仕事をした後、午後10時まで、家族とたっぷり対話をしたり、サッカーを見に行ったり、その他の遊びに行くといったライフスタイルである。労働時間は日本人の3分の2で、7月はまるまる休みのため仕事にならない他、クリスマスは2週間、イースターは1週間が休みとなる。

(ハ)最初はこの人達はやる気がないのではないかと思った。しかし、コンサルティング会社に勤めていたことから様々な企業に入ったところ、日本でも北欧でも仕事をした経験がある自分から見ても、デンマーク人は非常に仕事ができ、優秀であることがわかった。会議ひとつとってみても、マネージメントがしっかりしている。特にホワイトカラーの仕事振りは関心する程であり、自分がこの社会では通用しないのではないかと思う位のレベルの差を感じた。自分は日本的な価値観の中で教育を受け、仕事をしてきたが、もっとのんびりして、かつ仕事ができる人がいることは驚きであった。ともかくデンマーク人はあくせくしていなくても仕事ができ、広い家に住んで(300−500坪の家は当たり前)、ゴルフも近場でできるなど、日本人とデンマーク人は同じ人間なのになぜこんなに違うのかと疑問に思った。

(ニ)その理由として、人生観、教育に対する考え方が違うということに気づいた。デンマーク人のひとつの特徴は、人と自分を比べないことである。他人の方が儲けている、頭が良いなどの比較をしない。ひとりひとりが自分の価値観を持っており、例えば勉強したくないから高卒で仕事をやるなど、自分の価値観のもとで自信を持って仕事をしている。一人一人が生き生きしており、表情は子供も老人も幸せそうであるが、これは自分自身の生き方をしっかり持っているからである。

(ホ)更に、教育について言えば、小学校・幼稚園の教育の考え方が違う。自分の娘が2−4歳にデンマークで教育を受けたが、シャイで2時間位はなにもせず、黙って立っていた。自分が小さい時も同様だったが、日本の学校ではもっと話せ、もっと遊べといわれた。しかし、デンマークでは、「あなたのお子さんは観察力がすばらしいので、まったく心配ない。そのうちいろいろなことをやるようになる。」と言われた。3か月経つと、本当に自分で行動しはじめた。やはり娘は黙って立っていただけではなく、いろいろ観察をしていたのである。1年経つと、クラスで一番の人気者になり、毎日友達が遊びに来るまでになった。

(ヘ)以上は個人的な体験なので、すべての人に当てはまるかわからないが、(a)子供をこう持っていきたいというやり方と、(b)一人一人を認め、自信をつけさせて、そこから物事をやらせるやり方がある。後者は小人数でしかできないなど限界があるが、良いやり方だと思う。日本に帰ってから、娘のためにいろいろ学校を探したが、見つからなかったので、自分で学校を作ることにした。

(2)ラーンネット・グローバルスクールの概要( http://L-net.com )

(イ)ラーンネット・グローバルスクールは、日本人が参加できるグローバルスタンダードのインターナショナルスクールである。自分のデンマークの体験をベースに、いろいろなスタッフの考え方を入れ、嗜好錯誤しながらやってきている。

(ロ)インターナショナルスクールは、日本に住んでいる外国人を対象とした学校だが、日本人が行ける国際的な視野を持つ学校をやりたかった。ネーミングはいろいろ悩んだが、グローバルスクールという新しい表現とした。

(ハ)基本理念は、「自分を照らし、相手も照らし、お互いに成長する」ことである。自分らしさを大切にし、他人と自分の違いをマイナスでなくプラスととらえ、夢を持ってやり遂げることである。他人と自分の関係については、お互いに良いところを見つけ合い、成長し合う。子供同士だけでなく、先生(ナビゲーター)と子供もそのような関係を築く。子供の親にも、自分自身の人生観を持って生き生きと生きてほしいとの考えを持っている。

(ニ)場所は、神戸の六甲山にある。近くに六甲山小学校があり、日本で一番標高が高い学校といわれているが、そこより高い位置に作った(標高850m)。自然環境は極めて良い。

(ホ)カリキュラムは、フリースクールではない。自由にやらせるのではなく、自律性を重視する。自由と無責任とは違う。小学生として学ぶべき基礎的な知識、スキルは当然身につけてほしいし、計算、漢字の読み書き、体育、音楽はやってほしい。ただし、そればかりでなく、それ以外に創造的な「テーマ学習」をやっている。例えば、天気をテーマとして、いろいろ研究してまとめて発表する。1回が2時間で、6回で資料をまとめ、両親も来てもらって発表会をする。また、水・金曜日午後の「とことんやろう!」という授業は何をやっても良い。庭に穴を掘ったり工作をしたり、好きなことに取り組む。

(ヘ)特徴としては、インターネット、パソコンをツールとして使っている。また、出来るだけ国際的な視野を持たせるということでネイティヴの先生に来てもらっている。試験はしないが、子供達の評価は、観察記録をまとめたものをご両親に報告している。これにより、「うちの子供のことをここまで見てくれているのですね。感動しました。」と言ってもらっている。

(ト)ともかく、1人1人の子供を良く見て、どういう発言をし、どういう疑問を持つかを理解することである。できないことを指示せず、直せない欠点を指摘せず、もう少し頑張れば出来ることを言うことが大事である。これにより自信がついて、学ぶことに意欲が沸き、達成感が感じられ、もっと頑張ることとなる。最近見学に来られる方が増えているが、皆さんからは、子供達の目が生き生きしており元気であると言われる。これは、子供に自信を持たせることから来ている。

(3)個人の自律の3つのフェーズと教育

(イ)今までの教育議論は第一フェーズ(依存)と第二フェーズ(自由放任)の二極対立が多かったように思う。

(ロ)第一フェーズ(依存)では、自分自身で主体的に動いても変わらないという体験をしてしまう。すると、自分自身の存在の価値がないと感じ、自分自身が悪い状況に追いこまれたときに、他人のせいにするくせがつく。

(ハ)第二フェーズ(自由放任)は、同じ事の裏返しである。権威に従えというやり方をすると、従う人と従わない人の2通りが出てくる。

(ニ)第三フェーズ(自立共生)は、自分自身の価値観を持ち、自分自身が本当にこれをやりたいという内部衝動にしたがって行動することである。これはひとりよがりで好き勝手をするのではなく、人と照らし合い、良い影響を与え合って世の中を変えていけるんだという考え方をする。

(ホ)子供達一人一人が、主体的に行動できる価値のある人間だと自信をもってほしいという考えを原点としてやっている。これは新しい考え方ではないかと思っている。自分のスタンスにより、先生(ナビゲーター)の子供達への接し方が変わってくる。従って、どういう考え方でやるのかをしっかり考えてスタートする必要がある。教育には百人百様の考え方がある。定員30名の学校で、そんなにたくさんの子供を受け入れるとは思っていない。自分なりに失敗をし、試行錯誤をしている中で、以上述べた通りの考えを持つようになった。今後、考えが変わるかもしれないが、この学校をやめないということは自信を持って言いたい。

2.愛知に広がる「二重の学校」(毛受氏)

(1)教育問題の本質とは?
 愛知県の授業改革フェスティバル全体会のパネリストで参加したある生徒は「授業の中に自分がいない」と言った。生徒たちが主体的に授業には関わっていない現実を示している。「なんで学ぶの?」という根源的な問いに今の教育は答えられていない。「学ぶ」という行為が生徒たちの「生きる要求」から乖離した状況で進んでいる。なぜ学校では主体性を育てられないのか。

(2)学校とフリースクール

(イ)フリースクールの心
 フリースクールは、教科書、時間割、指導要領、教育の固定観念、などの制限・呪縛が多すぎて、やりたい教育ができないことから、それらの呪縛からフリーとなりたいということが、設立の主な動機である。特に、最近の不登校児の急増によって、多くのフリースクールが出来てきた。愛知県にもフリースクールが出来ている。フリースクールでは、生徒の主体性、興味の発現を見守り、成長を支援する教育が行われている。

(ロ)フリースクールの現状における課題
 しかし、フリースクールの中にも質の問題がある。例えば、閉鎖的なフリースクール、カルト教団の運営するフリースクール、また突然消えるフリースクールなどがある。更に、万単位の生徒を受け入れられるか?の量の問題や、税金の支援がないため、高い学費を集めなければならないなどの財政問題もある。学校システムすべてが悪いわけではない。フリースクールの心を如何に学校システムに反映できるかが課題である。

(3)愛知私学の教育改革( http://www.ask-net.org )

(イ)学校の3つの主体の協力体制−生徒・教師・父母が学校を超えて連結
 学校には3つの主体がある。それは、生徒、教師、そして父母である。その3つの主体が学校を超えて連結している。「高校生フェスティバル実行委員会」が、大学でいうインカレサークルのように学校を超えて生徒をネットワークしている。「愛知県私立学校教職員組合連合」が、教師たちを学校を超えてネットワークしている。「私学を良くする愛知父母懇談会」が父母を学校を超えてネットワークしている。学校に主体的に関わるこれら3つのセグメント、生徒、父母、教師のネットワークが協力体制をつくって、様々な教育改革につながるイベントを開催している。愛知私学教育ネット(アスクネット)は、それらのイベントをインターネットを通して情報発信していく非営利のメディアである。

(ロ)教育改革につながる多様なイベント
 愛知私学の生徒、父母、教師のネットワークが生み出すイベントで代表的なものに以下のようなものがある。

(a)サマーセミナー:「学びたいことを学べ、教えたいことを教える夢の学校」
 生徒も先生も、誰でも先生に誰でも生徒になれる。600を超える講座が出展され、1年に1度の行事として3−4万人の参加がある。
  ウェブサイト→ http://www.ask-net.org/summer/

(b)オータムフェスティバル:「街とつながる学校づくり」
 地域とつながる学校作りをめざし、タレントを呼んだり、様々なイベントを企画したりして、地域の人たちが学校に参加できる機会を提供している。誰でも参加できるオープンな学園祭的なイベントである。
  ウェブサイト→ http://www.ask-net.org/autumn/

(c)授業改革フェスティバル:「生徒が輝く学校作り、授業作り」
 授業改革を目指し、先生らが各学校の様々な取組を紹介し合うイベント。公開授業やレポート、教材紹介、講演会、シンポジウムなどが開催される。
  ウェブサイト→ http://www.ask-net.org/kaikaku/event/

(d)その他  愛知県の私学は和太鼓が盛んであり、鶴舞公園という公園にて、2000年になる瞬間に、2000人の太鼓と群舞(鳴子をもった踊り)で祝おうと企画された。2000発の花火などもあり、イベント全体で3万5千人が詰めかけた。
  ウェブサイト→ http://www.ask-net.org/2000/

(ハ)変わっていく生徒、父母、教師、市民−イベントが生み出す大きな効果

(a)このような中で、生徒、父母、教師、市民もどんどん変わっていく。出会い、群れ、様々な人からの触発から、やりたいことが生まれていく。それを生徒が追求し、父母、教師、市民が支え、困難を乗り越えていく。このプロセスの中で生まれる感動がある。変わっていく生徒を見るなかで、父母、教師もどんどん変わる。

(b)周りの目が変わる例として、小学5年生の子供が、茶髪やルーズソックスの女子高生を見て怖いと思っていたのが、高校生フェスティバルの和太鼓を見てから、あこがれに変わったとの新聞記事があった。

(ニ)学校内教育改革への還流−学校外で変わった生徒、教師、父母が学校内を変えていく
 社会に対する協力感を胸に、これが学校内での教育改革に還流していく。閉鎖的な学校、制限が多い学校に気づき、行動を起こしていく。既に、総合学習などが提起され、各学校でより自由なカリキュラム編成をしてよいというお墨付きが出ている。学校外の呪縛ない世界でまず経験し、それで自信と力をつけた生徒、教師、父母たちが学校内を変えていく。

(ホ)学校を変えていく「二重の学校」
 生徒・父母・教師・市民によるネットワーク・イベントと、各々の学校の「二重の学校」が存在し、これが学校を変えていくひとつの推進装置として機能している。炭谷氏のラーンネットグローバルスクールと求めているものは共通している。ある教師の言葉に、「教育の真髄は、『待つこと』と『放つこと』」というものがあった。学校内にとどめず、様々な人々の出会い、触発がある街へ「放つこと」と、そのなかで生徒たちが自分の関心を高め、学びへの要求が高まることを「待つこと」である。学校内だけの改革ではダメである。教師達だけの改革では行き詰まる。社会の中で、自ら問題意識を高めていく中で、社会の「お客さん」から社会の「主体者」になって、自分達が社会も政治も変えるということが起こっている。スプリングセミナーに参加した市民からは、「とにかく生徒たちの『何かの役に立ちたい』という意識が非常に高いことに驚かされた。私たち大人はあれこれ理由を付けてやらないですごしてしまうが、彼らは違うのだ。何とかしてあげたいと思い、実際に行動に移すことができるのだ。」という感想も寄せられている。

3.参加者による質疑・討論

(1)(質問)ラーンネット・グローバルスクールでの教育は、義務教育としてカウントされるのか。生徒にとって、義務教育を受けたいという選択権はないのではないか。

(炭谷氏)生徒のうち、義務教育の学校に籍を置いている人がほとんどである。その場合には、卒業資格はもらえる。他方で、義務教育の学校から籍をはずしても良い。それは各人が選択できる。なお、大学検定を受ける資格の中で、中卒資格は不要になった。

(2)(質問)デンマークには教育問題は存在しないか。デンマーク特有の教育問題はないのか。

(炭谷氏)(イ)デンマークでは100年前に詰めこみ教育の問題があり、それが社会で議論されて改革されてきた。現在は教育に関するかなり問題が解決されている。グルントヴィーというデンマークの父と呼ばれる人が、改革を推進していった。デンマークでは、問題があると、それを常に解決していく。例えばテストをすると、序列付けをするという問題があるので、議論して、本当に改革の方策を実施する。
(ロ)自分としては、飯がまずいという問題しか思い当たらないが、教育問題については、問題があるかないかは受け取る人による。デンマークの教育は物足りないと感じる人がいるかもしれないし、自分はよくわからない。

(3)(質問)デンマークには英才教育が存在するのか。

(炭谷氏)わからない。デンマークには新しく出来た学校が多いので、よい学校、悪い学校の差がよくわからない。例えば、大学は4つあるが、それぞれ特徴があるのだから、それに応じて行けば良いとの考えである。例えば、校舎がない学校があり、そこに1年だけ行かせることもできる。

(4)(質問)デンマークの大学入試はどうなっているのか。

(炭谷氏)少なくとも受験戦争や塾はない。18歳になったら大学に行こうという発想はない。好きなときに学び、働ければよいとの考えであり、例えば高校を出て働いた後、勉強したくなったので学校に戻ることもある。学校には、技術を身につけるための学校と、アカデミックな学校がある。自分で自分のキャリアを作っていくとの発想である。

(5)(意見)デンマークは国籍はどうなっているか。教育は社会が学校のカリキュラムを作っている。自分は留学のコンサルティングをしているが、穴場はオーストラリアと感じている。現在、企業がほしがっているのは、グローバルな人間である。オーストラリアは多文化主義で、多国籍の人が共存している。驚くのは、移住してこいという人が多いことである。中近東や韓国等多くの国からの移住者が、この国で住みたい、移住して来いという。これは、オーストラリアに人間として心地良いと感じるライフスタイルがあるからである。親の世代は米国・英国への留学という発想があるが、オーストラリアのような多国籍の国の中で教育を受けるという行動力を持つべきではないか。

(6)(質問)毛受さんの取り組まれている初めてのサマーセミナーに参加したが、「教育」が「共育」になっているイベントで本当に驚いた。どの位の企画・時間・苦労が必要だったのか聞きたい。

(毛受氏)これをつくるのは大変である。サマーセミナーはただ講座をならべるだけでなく、有名人などの講演会なども用意しないと市民の目が集まって来ない。それらイベントの資金調達のための広告を集め、それでも先生、生徒、父母も自腹も切り、それでも赤字になってしまうという強烈なものがある。それでも、イベントを作る中で「教えるって何?」「学ぶって何?」、と考えさせられる価値あるイベントだからやる。サマーセミナーには「なるには講座」もある。美容師になりたい、このため美容師の話を聞こう。落語家になりたい、それには落語家を呼ぼう、とその道のプロを父母や教師らが呼んでくる。このように多くの人の努力により実現する。事務局は5−60人であり、先生たちがほとんど1週間ほど連夜の徹夜で作業する時もある。

(7)(質問)自分は「新聞記者になるには」講座に出たが、私学の組合が活躍する中で、公立の中でも頑張っている先生はいるものの、公立では同様の試みは難しいとの話を聞いた。公立の先生方とのつながりを聞きたい。また、公立の生徒はどうなのか。

(毛受氏)(イ)公立の先生が自らこうした企画を作ることは現状では難しい。しかし、公立の先生も実際はイベントに参加者として来るし、特に私立だけに門戸を閉ざしているわけでないので、今後連携は広がっていくだろう。現在は私学を中心にしかなかなか情報が伝えられないことが原因であり、今後はインターネットを用いることでもっと情報を広げていきたい。
(ロ)公立の生徒も来る。生徒のネットワークは広がり、これが公立の学校にも伝わっていく。まだ完全に出来てはいないが、今後それを目指していきたい。

(8)(質問)ナビゲーター(教師)の生徒を見る目が問題である。ナビゲーターとしてうるさく言うのでなく放任でもない人を探すことが最も難しいのではないか。

(炭谷氏)おっしゃる通り、これが鍵である。自分の場合、たまたま身近にいた人が、いっしょにやりたいといってきた。彼と私は、自分の子供の教育について共通体験をしていた。彼は子供を幼稚園に入れたがうまくいかず転校させたが転校先はモンテソーリ教育を行っていた。私の子供もデンマークでモンテソーリ教育だった。彼がメインのナビゲーターになった。しかし、1人では限界に達するので、若いスタッフを入れた。しかし、ナビゲーターはできない。どうすれば彼のスキルを移せるか考えた。まずカリキュラムを移した、また、観察記録をつけさせると、ちゃんと子供を見ていない人はどの子供に対しても同じことを書いているので、それを直した。すると、半年間で全員がナビゲーターをできるようになった。

(9)(質問)財政・経営面で、こういう面が特に大変だ、こうしたからやっていけるという点につきお聞きしたい。

(炭谷氏)財政面は大変である。特に最初が大変で、投資が必要となる。人への投資やカリキュラムの作成にお金がかかる。そのため、他の仕事をした。生徒がある程度の人数になれば、授業料と人件費が定常状態になる。そうはいっても楽ではない。授業料は月5万円であり、これを安いと感じる人も感じない人もいる。

(10)(質問)いじめ、不登校、学級崩壊、(先生による)セクハラが全国で多発している。ノイローゼで休職する先生も入る。家庭では児童虐待がある。これを変えるのはどうすればよいか。

(毛受氏)最近教育について悪いニュースばかり出る。かつ、学級崩壊と呼ぶ基準も最近は下がり、3人授業を聞いていれば学級崩壊と呼ばないということもある。良いニュースをもっと積極的に取り上げ、皆の興味が向くことが大事である。見つめられることによって、授業に興味を示さなかった人も変わっていくものであり、このような好循環を起こしていくことが大事である。マスコミの方々も、積極的にこのような報道をしてもらうと面白い。

(炭谷氏)そのような問題が顕在化する前に対応したいと思っている。問題の根を抑えようと思う。また、問題が人のせいと思い、お互い責任をなすりつける限り解決しない。すべての人は何かができるはずである。対話をするだけでかなり解決する。ただし、先生の場合はかなり難しく、先生には同情する。大変だと思うが、一人一人の子供を認めるしか仕方がない。子供も何かできると思わせることが大事である。

(11)(意見)(イ)問題を人のせいにしている限りは何も変わらない。根本は、社会の各人に当事者意識が欠けていることである。それを直すには3年や5年では済まない。一人一人が問題意識を持ってやれば、本来こうあってほしい社会が実現する。
(ロ)自分自身は1年3か月前までロンドンに駐在し、日本という看板を背負って、いろいろ日本の存在感を示すべく、日本に住んでいる時以上にサービスしたが、東京に帰ってきたとたんに緊張感がなくなった。自分がやらなくても誰かがやってくれると思い、ないがしろになってしまった。日本の会社も現金なもので、米・欧・アジアに出ていくと、地域社会に溶け込まなければということで、仕事を犠牲にして半日講師をしたり、学園祭にいくということに対しても理解があった。しかし、日本に帰るとそのようなメンタリティがなく、例えば学芸会は、母だけの世界で、専業主婦のお母さんが、封建時代的なまめまめしい働きをしている。
(ハ)父親をはじめ、全員参加型の社会を可能とする会社、行政、政治を作ることを考える必要がある。他人のせいにして社会が成り立たない。一年に二回程度は、自分の学校に還元していくということが必要である。
(ニ)社会に出て十数年経って振り返ると、学校で学んだもののうち、自分のキャリアに役だったもの、役立っていないものがある。皆共通体験があると思うが、詰め込み型というか、暗記ものはもっと負荷を減らして、自分で考える、自分で事実発見できる能力を重視すべきである。周りを見ても成功している人は、自分で発想できる人である。また、もっと歴史を学ぶ必要があるが、事実関係の知識に時間を費やすよりは、もっと自分でロジックを立てて、自分自身を守り、説明する力に力をおいてやっていくべきである。
(ホ)学校の先生は狭い世界にある。自分は英語が下手だったがうまくなったので、学校で英語を教える力には自信があり、これを還元する機会があればと思う。また、学校の先生が会社に1−2週間来て学ぶのも一案と思う。

(炭谷氏)主体的にできることとして、親が出来る小さなことは多い。自分の経験では、知らず知らずのうちに子供を傷つけている「ひとこと」がある。ある時、娘が字を書かなくなったことがある。先生に相談したところ、字の間違いを指摘していないかと言われた。確かに自分は字の間違いを指摘していた。いつのまにか間違いを指摘したり直したりしているが、子供はそれで傷つき、いやになってしまい、下手になる。興味を持った時に、好奇心をプラスにさせる方法をやるということの繰り返しで、子供の自信がついてくる。ラーンネット・グローバルスクールに来ると、すぐ子供は生き生きとして良くなるが、このことは、子供を認めること、傷つけないことにより、如何に簡単に子供を良くできるかを示している。本当に繊細なことで子供は傷つく。子供は口では言わないが、これに気づくかどうかは大きい。

(毛受氏)ナビゲーター・先生の視点を、「教える」の視点から、「育てる」の視点へ変える必要がある。現場の先生が変わらなければいけないと思っても、その実現は大変である。先生は今までの「学校はこうあるべき」の考えで何十年もやってきており、先生自身が変化の必要性を教えられるのではなく、自ら体感しなければならない。また、先生に対し、父母、市民の側も、ただ批判するのではなく、変化しようとしている先生たちを育てるという意識へ変わっていくことが必要である。市民も学校づくりに主体的に関わっていくなかで少しずつ好循環がはじまり、市民の視点を教育にフィードバックできるようになっていく。

(12)(質問)ラーンネット・グローバルスクールは本当に素晴らしい教育をされておられると思う。生まれ変われるならこのような教育を受けてみたい。財政基盤の確立にはいろいろと苦労されていると思うが、国が私学と認め費用を助成するならば、今の教育を普及・拡大する考えは持っているか。国もうまく憲法を解釈し仕組みを作って私学助成をする智慧を持っているのだから、なんらかの形で支援することは不可能ではないと思う。私の属する組織でも教育改革のため教育基本法、教科書検定基準の改正などについて運動をしてきたが、運動方針を見直し、このような学校にも実質的に助成できるような運動も展開することを検討したい。

(炭谷氏)学校は1つ作るだけでも大変なことであり、1人1人の子供と向き合うことになる。自分1人でいくつも学校をつくることはイメージできない。しかし、カリキュラムの提供や、ナビゲーターの育成などはやると宣言している。今のところ、学校をやりたいという人はいっぱいいるが、本当にやる人は出てこない。しかし、いつか現れると思うし、現れれば全面的に支援する。他方で、自分の学校はあくまでひとつの考え方であり、いろいろな考え方の学校が出てきて選択できるようになれば良いと思う。ラーンネット・グローバルスクールのような学校が東京にもあれば良いという方はいるが、実際にやる人はいない。

(参加者)フリースクールへの国の対応についてであるが、義務教育への復帰を目的とした指導を行っている施設の場合は、児童・生徒の本籍校の校長が認めれば、フリースクールに通うことで小中学校に出席した扱いとし、卒業資格を与えることができるようになっている。また、不登校についての調査研究委託というかたちで支援している。運営費の助成そのものは、憲法上の疑義もあり、むつかしい。

(13)(意見)(イ)国が行ってきた教育改革も炭谷氏や毛受氏と思いは同じだと思うが、大きなシステムを動かしていくため、なかなかすぐに結果を伴うのが難しいという面があるのではないか。
(ロ)ゆとり教育は有馬前文部大臣の最近の対談によれば、基礎学習を”反復・習得してもらうゆとり”を持たせるために推進したということだが、現実には余裕ができた時間を好き勝手するゆとりとなって学力低下が顕著な子どもも出て、格差を生んでしまったと対談でも認められている。やはり、ゆとりを子供の力にするためには、余裕ができた時間を幅広い教育に活用する家庭や地域の受け皿が必要ではないか。その観点からも炭谷さんの取り組みなどは注目すべきではないか。

(14)(質問)2002年から完全週休2日制や総合学習が出てくる中で、地域社会や家庭の力が必要となっている。例えば、「21世紀日本の構想懇談会」の提言の中では、極端ではあるが義務教育の通常の学習は週3日にして、他の2日は個性に応じた学習を自発的に行う日にしてはどうかという提言もあった。こうした余裕時間で個々に応じた教育を地域、家庭、学校が行う際に、ラーンネット・グローバルスクールのような民間活力を活用できないか。スクールの側にしても、たとえば助成など愛ければ、経営面の基盤がしっかりすると思う。公教育も、民間側もこだわりを捨てればもっと連携をできる面があるのではないか。

(炭谷氏)(イ)公教育はすべての人に向けての教育であり、リスクはなかなか取れない。教育に対する考え方は多様であり、なかなか変えることは難しい。他方で、私学がリスクをとってやっていき、その中で良い要素を公教育に取り入れていくことは可能である。
(ロ)問題は私学の方が公教育と一緒になっていることである。私学に対する公的規制は取り払うべきではないか。同じカリキュラムでやっては公私の別の意味がない。まず私学を変えることである。また、ラーンネット・グローバルスクールに子供を通わせる父母はかなりのリスクをとっており、そのリスクを減らしてもらうことが大事である。例えば、この資格がないとこの教育が受けられないという制限を取り払うことが大事である。

(毛受氏)(イ)東京の私学と愛知の私学は私学のもつイメージがが少し違う。親の需要に応じるだけだと、私学が進学塾的になっていく。それをやっていけないのではないかということで、理事長の裁量で生徒、教師、父母の間で対話が行われ、その中で、かなり自由な教育ができるようになってきた。例えば、総合学習が提起されたことで、自由な教育を行うことが公的にも認められた。しかし、このチャンスに対して、積極的に取り組めない私学、逆に形式的に導入するだけの私学になってはいけない。私学が独自性のあるものをどんどんやっていき、それらの情報を公開し知らせていくことで、公立の学校にも授業改革が広まっていく。土曜講座で糸、繭の講座があったが、公立の先生が勉強して持ちかえった例もある。こういう連携も模索していく必要がある。
(ロ)また、私学助成についてであるが、教育にはビジネスは合わない。例えば、フリースクールのように生徒たちの興味関心が喚起されていくのを待つ「待ちの教育」をしても、親から「受験はどうするんだ」の突き上げがくるものであり、それに対して「待ちの教育が重要」といっても理解されず、こういった学校には生徒が集まらない。この結果、生徒にどんどん介入していく教育がはやっていく。個別指導と銘打ってブロイラーのように問題集をやらせるところすらある。高い授業料だと親は一般的に目に見える成果をもとめたがるので、じっくりと育てる環境のためには、私学助成などを拡充することで授業料を安くすべきであると考える。

(参加者)(イ)自分も炭谷さん、毛受さんと思いは同じである。本年4月から「総合的な学習の時間」が設けられ、小学校であれば週3時間各学校で自由な内容を教育することが可能となる。教員がテーマを与えても、生徒が自ら選んでもよい。一方、真に重要な基本的な事項はしっかり教えることとしており、ベーシックな学習と自由な学習の組み合わせという点では、ラーンネットの考え方と同じである。
(ロ)詰め込み教育が役に立たないという御意見があったが、私も全く同感である。現在の教育改革のテーマは「ゆとりの中で生きる力を」ということだが、これは、丸暗記的な教育内容を減らして時間的なゆとりを生み出し、真に重要な事項は繰り返し学習して確実に身につけてもらい、一方調査・実験・発表・討論など自ら主体的に学ぶ学習や様々な体験活動の時間を増やして、将来本当に役に立つ力を養おうというねらいである。
 今年度から中高一貫教育を制度化したが、これも高校入試を省くことにより、ゆとりを生み出そうというものである。決して公立の進学校をつくろうというのではない。
 相当の経験を有する社会人であれば皆さん今日の自分を支えているのは、入試の瞬間だけ記憶していたような知識でなく、学生時代の読書や部活など一見無駄と思えた様々な体験であることに同意されると思う。このような理解の下にゆとり教育を推進しているが、一部経済官庁や産業界には、学力低下につながるとする反対意見がある。社会人としての経験が親としての教育方針に結びついていないところに問題があると思う。
(ハ)社会人としての知識・経験をボランティア指導者として学校教育で生かしていただけるお気持ちがあれば、歓迎したい。現に英語、コンピューターなど様々な分野で参加していただいている。逆に、学校教員にも民間企業などで体験を積ませる研修を行っている。
(ニ)私学では従来かなり自由なカリキュラムで教育が行われている。ラーンネットが現在のカリキュラムのまま学校として認可されるのはかなり困難かもしれないが、不登校児対応の学校など、実体験重視のカリキュラムの学校が認可されている例もある。この点県により認可基準が違うことも関係するだろう。

(15)(質問)自分は教師だが、大変刺激を受けた。現場にいると閉塞感が大きいので、少しでも変えていければと思った。教師になって10年だが、トラブルの原因になるのはしつけである。生徒に指摘しなければならないが、それに対する反発もある。髪の毛や服装など細かいことをいっていても仕方がないと疑問に時期もあったが、今はそういうことをキチンと指導することも必要ではないかと思っている。社会の中で生きていくためのルールがあり、例えばきちんと挨拶できない人間はうまく生きられない。職人、セールスマンの中にもルールがある。学校は社会の中で生きていくルールを実につけさせるということが必要である。全く野放しにすると、あっという間に崩壊する。そういうしつけはきびしくやることは重要ではないかと思うが考えを聞きたい。

(炭谷氏)しつけは大事であるが、しつけの仕方に工夫が必要である。特に、命令されるからではなく、納得感が大事である。そうしないと、例えば先生がいないと掃除をしなくなる。いかにそういうふうにもっていけるかが課題である。

(毛受氏)しつけで注意する際、ことばが相手の心に届かなければ意味がない。先生が生徒にダメだと言っても、先生がどんな気持ちでそれをいっているのかを見られる。生徒の心に言葉が届く生徒との関係を築くことが大事であり、その関係作りがあった上で、初めてしつけが可能になる。

(参加者)しつけは先生が口うるさくやるべきではない。子供のしつけは両親の思い、考えがあるべきであり、親が学校に頼るのはおかしい。他方で、団体行動のルールは学校でしか学べない。自分はこれをクラブ活動で学んだ。

(16)(質問)自分も教師として楽しい学校を作りたいと感銘を受けたが、私立学校では生徒を確保しないと経営が成り立たない。たとえ自分が何を言っても、生徒が集まらないと言われる。親から要求があるとすぐ変わるが、生徒や親の最大の要求は、受験を乗り切ることと、しつけをそれなりにやってくれることである。このことと、生徒の興味にあった楽しい学校をつくるということはなかなか両立できないが、どう考えるか。

(炭谷氏)日本中で大いなる勘違いをしているから大変であり、これを覆すのはなかなか難しい。しかし、社会に出てそれを実感している人が声を大にして言うことと、自分の子について自分のポリシーを出して教育することが大事である。実際、学歴は大事でないといいながら、自分の子に学歴を積ませていることがある。世の中はものすごく変わっているが、これが学校や親に伝わっていない。

(毛受氏)受験のみに傾倒せずに生徒を確保するには、地域戦略が必要である。生徒たちを地域とどんどん触れ合わせて学ばせることで生徒が輝く。市民がそんな輝く生徒を見て、我が子を入れたいという動機となっていく。今は、生徒の姿が市民にほとんど伝わっておらず、どこの大学に何人入れたかなどの学校のランキングのみがメディアを通して市民に伝わる。受験本位の教育では生まれない、自分の興味を発見し、追求しているときに生まれる輝きをもった生徒たちを市民の目にもっと触れさせていくことが大事である。生徒数を確保するための経営戦略として、このような方法もあり得る。
Posted by gyosei-kanji
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